今年の抱負は?
という会話が一月いっぱいは飛び交う。
目標、ヴィジョンは必要だ。
そんな話題が自然にでるような友人は多いほどいい。
こういう話題が出ることがいい友達の意義でもある。
大言壮語するのはたやすい。
日本人の気質としては、小さな目標を、田畑を耕すように、毎日の積み重ねであることを理解するほうがいいのかもしれない。
日本人を農耕民族になぞらえて表すことは多いが、
一足飛びに物事をこなすのはやはり難しい。
実社会、実生活では物事はカタツムリのようにゆっくりだ。
映画やタイムマシンのようにはいかないものだ。
目標をどのあたりにおくべきか?
それを自分自身の目標とするか?、
組織として、全体の目標とするかはまた大きな意味合いの違いを持つ。
十人十色、それぞれ言葉の捕らえ方が違うものだ。
組織というものを、個々人と結びつけて考えることができる世代環境も違ってきているようにも思う。
知識や経験したものは教えやすい。
知恵は教えにくい、考え方を創っていかなくてはならない。
経験とは失敗の数とはよく言うが、それをばねにする知恵は、同じ失敗を肌で感じてきたものには解りやすいが、経験したこともないことについていくら教えられてもピンとこないことは多いものだ。
そして言葉は口から発せられた時点から独り歩きを始める。
意味を変えられることもしばしば、受け取った側に全てはゆだねられる。
永い年月を共に過ごしてきた者同士でさえ、言葉の行き違い意味のはき違えはあるものだ。
まるっきり違う人生を生きてきた人に自分の考えをそのまま伝えるのはとても難しい。
言葉は少ないほうがいいのか?
それともしつこいぐらいに、一つの言葉を10の実例をからめて説明するべきなのか?
1を言えば10を解るとはよくいうが、
10倍の広がりを持ってしまったものが10倍の違う方向にいくリスクも持っているのではないか?
まるで、レバレッジを聞かせたデリバティヴ取引のようだ。
言葉を発する側と、受け取る側の信頼関係が必要だ。
会話とはまず信頼関係を得るために始めなくてはならない。