当たり前のことができてない人間がすごく多い。

ここでいう当たり前とはこうしたほうがいいということ、

答えが2つあるならば正しい選択をすること。

たとえば、私は昨日相談を受けた。

数量の間違った発注をかけてしまい、数量変更に応じてもらえない、というものだった。大量の在庫をかかえるかもしれない。

私はその担当の上司およびトップに連絡をとりなさい。

たぶんそのアドバイスはよかった、誤発注は撤回できただろう。

だが伝え方はぶっきらぼうだった、私はそういうミスが多い、心配りが足りない。

ややもするとパニックになりそうなぐらい困っている人になんでそんなことも判断できないの?という感じで接してしまう。

自分が忙しくて対応がめんどくさかったというタイミングでもあったが、相談者はワラにもつかむ思いだったかも知れないのに。

ひとつの当たり前(判断)はできた。

もうひとつの当たり前(相手を思いやること)はできなかった。

余裕のあるときは両方ともクリアできる。

余裕がないとどちらかにミスをする。

パニックになると両方ミスをする。

何事にも動じず、余裕をもっていればだいたいのことは正しい方向にもっていける。

そのための知恵と経験はあるつもりだ。

だが感情が高ぶったとき、冷静に判断できないのも人間だ。

言い方をかえると、

当たり前のことが普通に当たり前にできればトップ10%に入れる。

世の中には当たり前のことが普通に当たり前にできない人が多いから。

それはたぶん仕事でも経済的にだもだ。

こういうとトップ10%ってすごくハードルが低いように思うが意外と難しいものだ。

会社でもこれができれば10人中トップになれるし、100人中トップ10人は間違いない。

そこに少しだけハードルを高くしてみよう、

人よりも努力するということを、

これで1000人中トップ10%すなわちトップ1%になれる。

さて世界のトップ1%になれるだろうか?

日本の当たり前は世界に通用するだろうか?

あくまでも井の中の蛙でいくか?

私は世界基準で考えたい。