自分が相手に求めること。
相手が自分に求めること。

自分以外のヒトが求めることを推し量るのは容易ではない。

ひとはうまれながらにして、自分自身に求めることよりも自分以外のものにより多くのことを求める。

生まれたばかりの赤ん坊が母親のおっぱいをほしがるのが最初。
赤ん坊は求めるものが手に入いらなければ泣けばいい。
自我が目覚めると、泣くだけでは何も手に入れることができないことを学ぶ。

子供の欲求を満たしてくれるのは親であることがほとんどだが、
学校に入るころになると、
もっと社会性のあるもの、
友達であったり、集団のなかでの自分の立場、スポーツや児童会生徒会などの集団の中での自己の確立を欲するようにもなる。

青年期になると、自己の証を求める傾向は高くなっていく。

これがいったん、落ち着きをみせる頃あるいは同じ時期に異性に対して求めることがでてくる。
親に求めることが少なくなるかわりに、異性に自分を認めてもらいたくなる。

人間にはたくさんの思いがあり、それぞれの個体が求めるものと、合致するような個体を見つけたときに惹かれあう。
それは社会においてもあてはまる。
自分に合った仕事、社会。
どこかで妥協はするものの、今をそして未来を考えられる環境を求めるものだ。

天職にめぐり合う、理想の人と巡り合うことはすばらしい。
そのために努力もする。

自分を磨けば、良い相手にめぐり合う確立も大きくなる。
気持ちが通じ合うというのはいいものだ。

幸せを感じるときは、すべからく居心地のいい空間、安らげる時間だから。
人間関系も仕事との相性も、
自分を変えることによっていい方向にもっていけるものだ。

自分が求めるものが手にはいるよう、自分自身が気持ちをいれなければならない。
求めることはかんたんだが、
求めるものを得るには少しばかり、努力が必要だ。

笑顔を求めるには、
まず、自分が笑顔をつくろう。
相手が自分の求める方向に動いて欲しければ、
相手が求めるものを知らなければならない。

生きてきた環境も考え方も違う人間同士がに同じモノサシを使うことはできない。
相手のモノサシが違うことを知ろう。
それが出発点だ。

反面、
あうんの呼吸というか、何も言わなくても同じことを考えているんだなぁって感じられることがある。
これは大事にしたい。