うまくシステムが動いているときには何も気にしないでルーティーンワークに甘んじてしまう。
業界の常識は一般の非常識!
業界特有や先達のやりかたをそのまま何も考えずに仕事をしていると、
どんどん一般の顧客の求めるものと乖離してしまうことに気付きたい。
システムに溺れることなく、一つ一つのルーティーンには理由があることを肝にめいじたい。
時代と共に顧客の求めるものは変化していく、それはなんでもネットでできるようになってもだ。

購買層はどんどん高齢化しているのに
ネット上だけですべて処理できるようになると、
高齢者はついていけない。
若年層より経済的に余裕のある高齢者が求めるものはネット上での売買ではない、対面による人から買いたいのだ。
それは我々ネットを扱える人間でもそう思う。
ネットにコンピュータの進歩についていくのがやっとで、人間本来の機知が必要とされなくなり、ついには人間の必要がなくなっていく。
未来映画の中で人間がコンピュータに支配されてしまう危険性を、映画の中の世界ではなく、
現状がコンピュータ万能の世界に流されていることに気付きたい。

我々の職人の仕事にはあまり大きな変化がないように思われても、流通システムやオンライン処理の世界では人間が入り込める余地がなくなっているのも事実だ。

JRの切符を買おうとしたらネットでできるものが窓口で対面販売でできない、
電話でできることが窓口でできない。
目の前に窓口があるのに、それはネットでやってください、電話でやってください。
日本全国オンラインでつながっているシステムを目の前に置いて、
お客様に、高齢者にそれはおかしいいんじゃないか?
コンピュータが扱えないものはどうすればいいのか?
携帯電話を持ち歩かないものは切符もまともに買えないのか?
何百円余分にかかることは了承しているのに、それでもネットで予約ならできるが窓口ではできないとつっぱねる。
私の仕事はシステムにしたがってマニュアルにしたがってキップを売るだけです。
それ以外できません、電話でどうぞ、ネットで予約をどうぞ。
いかがなものか?

この現状を目の当たりにして、客の列でおかしいと感じていたのは私だけではあるまい。

私も経験しているが、
むやみにシステム化されすぎていて、
列車の乗換えを新大阪で乗り換えるか新神戸で乗り換えるかを選択するのはネットが扱える我々でも難しい。
窓口でこそ、人間だからこそできることを放棄してしまう、
それを不思議に思わない教育をしているのかと思うと日本の未来に希望が持てなくなる。

元親方日の丸、元公務員、
私らは民間さんとは違いますからと平気でいうNTTには閉口した。
とっくに民営化されているのに気分は、私らはあなたたち民間さんとは違うんです、と来る。
郵便局にはそうなってほしくないと思うが、期待すると裏切られた。
極端に責任回避という公務員体質が、大企業体質が見えてしまう。
民営化されたはずなのに。

新人諸君、
新しい職場に飛び込んだ人たち、
仕事を覚えるにあたって、業界の悪習に染まるじゃないぞ、
ひとつひとつ疑問点を持ち、改善しなければという気概を持たなくてはいけない。
そうしないといつのまにか裸の王様になってしまう。
自分の業界以外で友達を探しなさい。
腹を割って話せる(愚痴ではない)
この人の前では正直になれる、嘘やオタメゴカシを言わなくていい、素になれる、そんな友達を大事にしなさい。
自分が業界に染まらずに正しい見識、疑問点を持ち、お客様の目で自分を見るようにしなくてはならない。

仕事とは、
プロとは、
お客様商売である私たちは常に第三者的に自分を他人の目でみつめたい。
物言わぬお客様が何を求めているのか、(特に日本人は自分の意見を言わない、そういうお客様がいつのまにか離れていく。)

お客様の意見を聞きましょう。
満足ですか?
お客様の求めるものを提供できていますか?
めんどくさがらずに、
力の出し惜しみをしてはいけない。
お客様の満足は必ず売り上げに、自分の収入につながる。

私の好きなガソリンスタンド、私の好きなお好み焼き屋、いつも満面の笑みでいい気分にさせてくれる、
そういうところには高齢者も来やすい。足が悪くとも、2-3百メートルの距離を1時間もかけて不自由な足でやってくる。
高齢者は食も細いし客単価は表面的には低いだろう、でも私が手を差し伸べたその方は翌日10人以上の客を連れてやってきた。高齢者の口コミもまたすごいものがある。

店員もそうだが客も自然に高齢者に手をかしてしまう。
ちょっとした段差、手摺りが一部分無いところなどつい立ち上がって手を貸してしまう。見せかけのバリアフリーではなく人間こそがバリアフリーだ。 

そんな雰囲気を持つお店だからいつも繁盛している。

顧客満足度の高い仕事をしている人は友達も多い、これは事実だ。
やはり、人づきあいにもあらわれるのだ。
日々の仕事、ほとんどの人は一日の半分を過ごす、人間形成の場でもある仕事場。
損得勘定なく、人が集まるのは人として最上の幸せでは。

私も真摯な気持ちで日々を、仕事を、毎日をすごしたい。